定数2の激戦を制した県議選後作成したビデオのナレーションです。
2010年12月12日ホテルシーモアで高田よしかずを励ます演説会が開かれました。
地域の方3名から応援のメッセージをいただき、高田さんが県政への熱い思いを語りました。
活動の中で出会ってきた厳しい県民の暮らしの実態に声を詰まらせる一幕もありました。
応援に駆けつけてくれた宮本たけし衆議院議員が「日本共産党でなかったらとよく言われる。けれど高田さんは日本共産党だからこそ信じられるんです」と支持を訴えました。このまま4月まで突っ走ろう。そんな思いを固めあった演説会になりました。
新年は各町議との街宣で意気高くスタート。1月9日には中央から田熊さんを迎えての選挙学校も盛大に。そして1月中、上富田、すさみ、白浜での新春のつどいが開かれ、どの会場も「こんどこそ高田さんを県会議員に」との熱気にあふれ、またそれぞれに趣向をこらした楽しいつどいとなりました。
定数2での勝利のかなめともなった「つどい」はこのように大きなものからひざをつきあわせてのつどいまで、秋から数えても130回を超えました。
そしていよいよ2月13日、大浦での事務所開き。
清姫太鼓で始まり、高田選挙に燃える女性たちからのリレートークのあと、高田さんより気迫のこもった訴え。誰もがこの選挙は絶対に負けられない、必ず勝つんだという思いを一つにしました。
この後、残念ながら映像はありませんが、子どもの医療費無料化の署名行動や、各地でのつどい、選挙にむけて作られたビラの配布など、多くの方々のご協力を得ての地道な選挙活動が繰り広げられました。
そして迎えた3月5日の坂田会館での大演説会。
演説会には会場いっぱいの方が集まって下さり、「高田さんをみんなで押し上げ地元の代表として県政に」「前回は保守県議を応援したけど今度は高田さんだ」と力のこもった応援。
高田候補は、「せめて病気のときに心配なしにお医者さんにかかれるように」と中学校卒業までの医療費無料化を訴え、国保税引き下げや住宅リフォーム助成制度の実現などに全力をあげる決意表明しました。
この演説会の直後に起きた東日本大震災。
阪神大震災・新潟大地震の際にもいち早く現地に駆け付けた高田さん。
日本共産党はこの国難ともいえる災害に、一斉地方選挙の延期を求めましたが、この主張が通らずに予定どおり行われた県議選。
被災地と心ひとつにした救援・復興の活動を取り組みながら選挙戦もがんばろうと、選挙選の中でも募金活動にとりくみました。
そして高田さんは、防災計画の見直しを提起するとともに、危険な原発の事故についてもわかりやすく訴えてまわりました。
選挙期間中に開かれた個人演説会では、どの会場も今までにない多くの方が参加してくださり、参加して下さった方がすぐに周りの方に支持を広げてくれるといううれしい話が続きました。日々「こんどは高田やで、こんどは高田しかないで」というみなさんの大きな支持の広がりを感じる選挙。
二つの議席を4人で激しく争うなか、生活相談を通じてのつながりや、ひざを突き合わせた130回を超えるつどい、さまざまな要求実現などの高田さんの日頃の活動がひきつけた人々が日を追うごとに支持を広げて下さり、党派を超えた多くのみなさんの支持の輪の広がりが、必勝の大きな波を作ってくれました。
高田さんは防災と福祉のまちづくりを掲げ、原発の問題では関西電力や大企業にきっぱりものの言える共産党の高田だからこそ、危険な原発はいらないとはっきり反対できると訴えました。
そして迎えた最終盤、私たちは、このこんどは高田やでとおっしゃって下さる方々の願いにこたえるためにもこんどこそ、なんとしても勝たなければという事で、たいがいそれまでに支持を広げてくださっている方にあつかましいけれど、「この願いの実現にはあと一歩、あと一人ずつの声かけを」とこの最後の声かけで20年ひたむきにがんばってきた高田当選の道を切り開いてほしいと最後まで訴えてまわりました。
選挙選をスタートした湯崎や選挙事務所での最後のあいさつもなんとしても勝ち抜かせてほしいとの思いでこのことをまずお願いしました。この最後の訴えは皆さんの心に響き、この最終日の晩も投票日当日も、みなさんあちこちに電話やメールをしてくださったといううれしい報告でした。
そのみなさんの強い思いがかなって定数2での8年ぶりに議席奪還という快挙。
当選の知らせに駆けつけた支持者の皆さんであふれかえる事務所。
高田候補は「西牟婁の皆さんの県政に届けてほしいの期待の声をひしひし感じます。これからも全力をあげます」とここまで決意表明するのが精一杯となりあとは涙が声を詰まらせました
各新聞社やテレビ和歌山のインタビューもあって、何度も万歳を繰り返し、テレビに映るまでの間、支持者の皆さんと抱き合って喜ぶ光景が続きました。
そして翌朝からはじまった街宣。白浜富田橋での朝立ちからスタートし、まずは白浜の海岸線をぐるっと回ったあと、上富田町の事務所前に。
すでに支持者のみなさんが集まって拍手で迎えて下さいました。
涙ながらに喜びを語って下さる方も。集まって下さった方と記念撮影。この光景もこのあとずっと続くことになります。
西牟婁郡内は例年より開花の遅かった桜が満開で、どこに行っても満開の桜が高田さんの当選を祝福してくれているようで、澄み渡った青空のもと疲れも吹き飛ぶ最高の街宣です。この日一緒にアナウンサーとして同乗してくれた方は、沿道からの激励に涙ながらのアナウンスでした。20年間、ひたむきに活動してきた候補者の姿をみてきただけに感無量となる気持ちは皆同じでした。
どこに行っても満面の笑みで迎えて下さる方々の姿に、本当に勝つことできてよかった。この高田さん8年ぶりの議席奪還は、支部や地域の方たちの大きな喜びと励みとなっている事を実感。と同時に寄せられる期待の大きさに背筋が伸びる思いです。
そしてこ有田郡の松坂さんとそろって定数2での勝利という快挙は市田書記局長さんが和歌山に来られた時におっしゃって下さった『全国を励ますたたかい』なんだという事は、地区委員会や選挙事務所にかかってきた多くの電話や、それまであまりご覧いただけてなかったブログへのアクセスが急に増えたことからもうかがいしることができます。
ただ、ここに映っているのは本当にごく一部に過ぎません。この何十倍もの方たちが力を寄せて頂き、またその何十倍もの方がこの高田県会議員誕生を喜んでくださっているのです。
田辺市をはじめとした選挙区外からの多くの皆さんの応援も決して忘れることのできない大きな力です。
喜びの表情をご覧いただきながら選挙中の高田さんの肉声を少しお聞き下さい。
「今度こそ、なんとしても」という思いが幾重にも重なり、選挙戦の中でも日に日に大きく力強いものとなり、今まで経験した事のない事をひとりひとりが「今度ばかりは必死でがんばったよ」と持てる力を発揮して下さったことが勝利の道に導いてくれたように思います。
もう次はようせんとおっしゃっていた方も、この勝利に元気を得て「これが最後」とは言わずに、次に続いていけるようにとすでにいろんなところで夢や希望が語られ始めています。
そして何よりも、こんなにも喜んで頂いた地域のお年寄りのみなさんには、本当に長生きをしてほしいし、「長生きしてほんまに良かった」と思えるような和歌山県にしていかなければと思います。
そして4年後もこの方たちに
「高田さんが県会議員になってこんなにも大きく変わったんだ」と今回以上に大きく支えて頂きたいと思います。
こんどこそずっと県会議員としてがんばってほしい、というみなさんの期待に応えられるよう、こんどこそは、多くのみなさんの力を借りて、ずーっと県会議員高田よしかずさんのあゆみをみなさんとご一緒に作り、その活動を支えていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。